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照月(てるづき)は〔#達昭和16年10月(2)p.11『達第三百二十八號 昭和十五年度及昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻、潜水艦一隻及駆潜艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十六年十月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 一等驅逐艦 照月(テルヅキ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 一等驅逐艦 巻波(マキナミ)|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第四十七潜水艦|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 第二十九號駆潜艇』〕、大日本帝国海軍の駆逐艦。秋月型駆逐艦の2番艦である。艦名は片桐大二の研究によれば「照りかがやく月」の意味〔片桐, 349ページ〕。竣工直後より南太平洋海戦や第三次ソロモン海戦で活躍した。第二水雷戦隊旗艦としてガダルカナル島への輸送作戦従事中に喪失、秋月型駆逐艦最初の沈没艦となった。艦名は海上自衛隊の初代あきづき型護衛艦2番艦「てるづき」、2代あきづき型護衛艦2番艦「てるづき」に継承された。 == 戦歴 == 1939年(昭和14年)度(マル4計画)の第105号艦。1940年(昭和15年)11月13日に三菱重工業長崎造船所で起工、1941年(昭和16年)10月25日に命名〔、同日附で一等駆逐艦秋月型に類別される〔#内令昭和16年10月(3)p.37『内令第千二百八十三號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十六年十月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|驅逐艦、一等夕雲型ノ項中「風雲」ノ下ニ「、巻波」ヲ加ヘ、同秋月型ノ項中「秋月」ノ下ニ「、照月」ヲ加フ(以下略)』〕。 命名直前の9月12日に内示された『昭和17年度海軍戦時編制』によれば、秋月型3隻(秋月、照月、初月)は第25駆逐隊となり〔#昭和17年度帝国海軍戦時編制・駆逐隊他p.1『佐世保|第二十五驅逐隊|《秋月》《照月》《初月》|(戦時編制ニ依ル所属)第七航空戦隊』〕、第25駆逐隊は空母鳳翔および特設航空母艦2隻と『第七航空戦隊』を編制予定であった〔#昭和17年度帝国海軍戦時編制p.5『第七航空戦隊|鳳翔、《第二十五驅逐隊》|特設航空母艦二|横須賀佐世保(特設艦船部隊ノ所管鎮守府)|呉(集合地)』〕。だがこの編制を実現する前に太平洋戦争が勃発したため、秋月型3隻(秋月、照月、初月)が鳳翔と実戦に参加する事はなかった。なお他の航空戦隊は、第一航空戦隊(翔鶴、瑞鶴、第11駆逐隊《吹雪、白雪、初雪》)、第二航空戦隊(蒼龍、飛龍、第12駆逐隊《叢雲、東雲》)、第三航空戦隊(瑞鳳、祥鳳、朝風、春風 )、第四航空戦隊(龍驤、飛鷹、隼鷹、第3駆逐隊《汐風、帆風、旗風》)、第五航空戦隊(赤城、加賀、第51駆逐隊《白雲、薄雲》)、第六航空戦隊(特設航空母艦3、第31駆逐隊《長波、巻波、高波、大波》)という戦力である〔#昭和17年度帝国海軍戦時編制・駆逐隊他p.1『昭和十七年度戦時驅逐隊編制豫定表』〕〔#昭和17年度帝国海軍戦時編制p.5『艦隊|第一航空艦隊|第一航空戦隊/翔鶴、瑞鶴、第十一驅逐隊|第二航空戦隊/蒼龍・飛龍・第十二驅逐隊|第四航空戦隊/龍驤、《飛鷹》、《隼鷹》、第三驅逐隊|第五航空戦隊/赤城、加賀、第五十一驅逐隊|第六航空戦隊/《第三十一驅逐隊》/特設航空母艦三』〕。 「照月」は真珠湾攻撃直前の11月21日に進水。 1942年(昭和17年)7月20日、折田常雄中佐(陽炎型駆逐艦13番艦「浜風」初代駆逐艦長)は照月艤装員長に任命される。7月22日、照月艤装員事務所を設置〔『○事務所設置 照月艤装員事務所ヲ七月二十二日長崎海軍監督官事務所内ニ設置シ事務ヲ開始セリ』〕。 本艦は8月31日に竣工して佐世保鎮守府籍となる〔遠藤, 198ページ〕〔#内令昭和17年8月(4)pp.12-13『内令第千六百二十五號 軍艦 雲鷹 右本籍ヲ呉鎮守府ト定メラル|軍艦 大鷹 右本籍ヲ佐世保鎮守府ト定メラル|驅逐艦 照月 右本籍ヲ佐世保鎮守府ト定メラル|驅逐艦 高波 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト定メラル(中略)|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 照月/舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 高波 右警備駆逐艦ト定メラル(中略)|昭和十七年八月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎』〕。同日附で照月艤装員事務所を撤去〔『○事務所撤去 照月艤装員事務所ヲ八月三十一日撤去セリ/伊號第三十四潜水艦艤装員事務所ヲ八月三十一日撤去セリ』〕。折田艤装員長も制式に照月駆逐艦長となった。横須賀に回航後、9月30日に残工事を終えた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「照月 (駆逐艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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